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東京高等裁判所 昭和29年(行ナ)39号 判決

原告 伊藤メリヤス株式会社

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

原告訴訟代理人は、「昭和二十八年抗告審判第六七五号事件について、特許庁が昭和二十九年六月二十一日になした審決を取り消す。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求めると申し立てた。

第二、請求の原因

原告代理人は、請求の原因として、次のように述べた。

一、原告は昭和二十五年二月十五日別紙記載のように、鹿首の図形に月桂樹の図形を配して構成されている原告の商標について、第三十六類被服、手巾、釦鈕及び装身用「ピン」の類を指定商品として、登録を出願したが(昭和二十五年商標登録願第三、二五三号事件)、その後審査官の拒絶理由の通知に基き、昭和二十六年四月二十七日これを登録第九一六二一号の連合商標登録願に改め、かつ、指定商品もこれに応じ、第三十六類メリヤス製の股引、パツチ、半股引、ネビエシラズ、腹巻、腰巻、帽子、襟巻、手袋、靴下、襯衣及びズボン下類と訂正した。審査官は、昭和二十七年二月二十九日これを公告すべきものと決定し、同年第六七五六号を以て出願公告がなされたところ、訴外宮崎メリヤス株式会社からの異議申立があり、その結果昭和二十八年三月三十一日拒絶査定がなされたので、原告は同年五月七日右査定に対し、抗告審判を請求したが(昭和二十八年抗告審判第六七五号事件)、特許庁は昭和二十九年六月二十一日原告の抗告審判請求は成り立たない旨の審決をなし、その謄本は同年七月十日原告に送達された。

二、審決は、別紙記載のように、鹿が体を右向きにして臥し、顔を横向きにして描かれている図形で構成され第三十六類目利安製肌着、短胴衣、襯衣、手套、腕嵌、腹巻、股引、股嚢、靴下、足袋、腰帯、細帯を指定商品とする登録第九六六一三号商標を引用し、原告の商標と引用商標とは、外観上においては多少の相違点があつてたとえ互に類似しないとしても、その称呼、観念上においては、いずれも「男鹿」図形を要部として描き出しているから、その構成態様上両者ともに、「男鹿」印または単に「鹿」印の称呼及び観念を生ずるものと認められ、両者は互に類似する商標といわなければならず、かつ両者はその指定商品においても互に牴触するから、本件商標は、商標法第二条第一項第九号により、登録することができないとしている。

三、しかしながら審決は、次の理由によつて違法であつて、取り消されるべきものである。

(一)  審決は、原告が昭和二十八年十二月十六日付で特許庁に提出した理由補充書第二頁以下に主張した事実について、判断をした具体的な根拠を示すことがなく、また同一業界で、鹿に関連した多数の商標が、種々の態様で使用されている実態について判断を下した根拠も示すことなく、唯形式的に審決したものであつて、審理不尽、理由不備といわざるを得ない。ことに審決は、本願商標の要部を「鹿首」と認め、「月桂樹(月桂冠)」との組合せを無視しているので、このことは、本願商標を原告所有の登録商標第九一六二一号「鹿首」印と均等商標と判断したもので、その上は本願商標がこれと連合して登録せられるべきを至当とするにかかわらず、審決は本願商標の登録適格を否認したものであつたから、審決中に本願商標が登録第九一六二一号の連合商標として登録し得ない理由を示すべきであるのに、何等判断の根拠を示していないことは審理不尽、理由不備といわざるを得ない。

(二)  審決は、本件商標における「月桂樹」の図形を単なる輪廓又は附飾と解し、「鹿首」と「月桂樹(月桂冠)」とは不可分でないとしているが、一般に商標の特別顕著性の判定は、あくまでその商標を使用する取引社会の実情によつて決定すべきものであつて、形式論観念論によつて決定すべきものではない。同一類別の指定商品を取引する個々の業界でいかに関連性のある多数の商標が、しかも相互間に区別され通用しているかという実態を基盤として類否の考案をするべきものであつて、清酒業界で菊正宗、桜正宗、何々正宗と正宗という往年は特別顕著性があつた商標が、慣用されるに従つて正宗の冒頭に冠した文字のみで区別されるに至つた事実が一例証として挙げられる。

特許庁における既登録例が後出願の商標の登録適格規準を決定拘束するものでないことはもちろんであるが、これらは当該類別の指定商品を取引する業界での商標の通用状態を反映するものとして極めて重要な資料であつて、これを参考とすることは、正確な類否判定のため有効である。審決が、右の観点から必要な考案を怠つたことは、審理を尽さないものといわざるを得ない。

すなわち本件商標の指定する商品の業界では、幾多の既登録例にも反映していて明かなように、鹿に関係した商標が数多く、かつ永年に亘つてしかも平穏公然と相互に区別されて通用している。これは明治三十年頃当時すでに、「鹿首」の図形を要部とする原告の原登録第九一六二一号と本件に対する引用登録第九六六一三号がそれぞれ区別されるものとして登録された事実及びこれらが以来六十年に近く業界において平穏に併存して、今日に至つている事実によつても了解されるところである。

(三) 原告の原登録第九一六二一号は「鹿首」を中央として「REGISTE・RED TRADE MARK」としたリング状輪廓を配し、下部に白地リボンに「LONG USE」と記したものを附加したもので、「LONG USE」は長もちする効能を表示したものであるから、本商標は「鹿首」印である。これに対し登録第九六六一三号第九六六一四号、第九六六一五号は、それぞれ「鹿」印、「デーア」印であつて、これら商標の併存を業界が不思議とするものでなかつたから、原告の鹿首に月桂樹を配して鹿首を特徴づけた本件商標が、引用商標と彼此混同されないことは、業界において当然であつて、この事実は当該業界の著明取引者の証言によつて明かであろう。

(四)  原告は、本件出願と殆んど同時に「LAUREL DEER」の欧文字を左横書にし、その中央下部に「ローレルデイヤ」の片仮名文字を縦書にして構成した商標について、第三十六類被服、手巾、釦鈕及び装身用ピンの類を指定商品として、その登録を出願したところ(昭和二十五年商標登録願第六三八八号事件)、審査官はこれが登録適格性を認め、これを第三九七七九一号を以て登録した。原告は爾来同商標を平穏、公然と使用して今日に至つておるもので、ひとしく「鹿首」に「月桂樹」を配して構成されている本件商標の登録を拒絶した審決は、右登録商標の権利者である原告の既得権を無視し、これを不当に制限しようとするもので特許庁が往々繰り返す審査方針の変更を以て許し得ないものである。原告は、右登録第三九七七九一号商標の権利者として、これが保護のため、保護商標として、本件商標の登録を求める。

(五)  更に原告は、先に述べたように、「鹿首」を要部とする登録第九一六二一号商標権を所有するもので、若し本件商標が、審決のいうように、「鹿首」を要部とし、「月桂樹」の組合せは附飾に過ぎないものとすれば、審決は、過去三十年に亘つて業界に平穏公然と通用して来た原告の既登録商標権を否認するものであつて、複雑ではあるが業界において厳存する商標適用の秩序を無視し、形式的に統制しようとする誤を含むものである。原告は既登録第九一六二一号の保護のため、保護商標として、本件商標の登録を求める。

四、なお被告代理人の主張二の(二)に対し、商標法第二条第一項第九号の規定は、既登録商標権の権利侵害排除を立法理由としているものであるから(大審院昭和四年(オ)第三六四号判決参照)、原告が原登録第九一六二一号によつて「鹿首」を商標の要部として使用することが正当の権利として認められ、何等引用の登録第九六六一三号、第九六六一四号、第九六六一五号商標に拘束されず、またこれらの権利を侵害するものでないことが明かである以上、被告代理人の説に従えば、鹿首に附飾を配した本件商標が、本件の権利侵害となる理由はなく、同法第二条第一項第九号の該当性は排斥されねばならない。

第三、被告の答弁

被告指定代理人は、主文同旨の判決を求め、原告の請求原因としての主張に対し、次のように述べた。

一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、これを認める。

二、同三の主張は、これを争う。

(一)  原告出願の本件商標における「鹿」(男鹿)の図形と「月桂樹」の図形とは、分離可能であつて、両図形が不可分一体に構成されている商標とはいえない。本件商標の「鹿」の図形は、中央に極めて顕著に描き出され、看者の注意を最も引き、「月桂樹」の図形は、「鹿」の図形を引き立てさせるための附飾としか認められない。「月桂樹」の図形は、これを単一に描き、又は何等かの輪廓により囲まれて描き出されているような場合は格別、文字、記号、図形の輪廓として描き出されているような場合は、大概単なる輪廓又は附飾と認め、「月桂樹」輪廓内の文字、記号、図形からその称呼及び観念を抽出して称呼、観念とすることは、特許庁における顕著な事実に属する。しかも本件商標の「月桂樹」の図形は、中央の「鹿」の図形の全部を囲んでいるものではなく、「鹿」の図形の「鹿の角」は、該「月桂樹」の図形の上外側にはみ出しているから、これを輪廓とみるより、むしろ附飾の程度に構成表現されているものとみるのを相当とする。かかる場合、取引の迅速を尚ぶ取引社会においては、本件商標からは、看者の最も注意を引き易い中央に極めて顕著に描き出されている「鹿」(男鹿)の図形から、簡易に「鹿」印又は「男鹿」印と称呼及び観念することは当然であつて、これについて審決には、何等の審理不尽、理由不備もない。

(二)  本件出願の商標が、たとえ原告の所有にかかる登録第九一六二一号商標の連合商標としての登録出願であつても、本件商標が他人の登録商標と、商標自体において互に類似し、その指定商品において互に牴触している以上、商標法第二条第一項第九号の規定による拒絶理由は阻却し得ないので、この点についても、何等審理不尽、理由不備と非難すべき点はない。

(三)  なお原告は、抗告審判において、既登録例を挙げて種々述べるところがあつたが、本件商標を登録すべきや否やを判定するに当つては、その出願にかかる当該商標自体についてこれを考察するを以て十分であり、何等既登録例を商量参酌する必要のないことはもちろん、これら既登録例に拘束されるものでないことは、大審院以下幾多の判決及び特許庁審決の示すところであり、この点においても、審決に原告のいうような違法はない。

第四、証拠〈省略〉

理由

一、原告主張の請求原因一及び二の事実は、当事者間に争がない。

二、その成立に争のない甲第一号証及び乙第一号証によれば、原告が登録を出願した本件の商標は、別紙記載のように、大きな角を有する頭を稍左に向けた鹿の頭部の図形と、これをほぼ円形に囲み(鹿の角の部分に当る上部は開いている。)枝の元を幅広のリボンで結んである左右二本の月桂樹とで構成された商標であり、また審決が引用した登録第九六六一三号商標は、別紙記載のように、大きな角を有する頭を左向けに横臥した鹿の全身の図形と、その左右に描かれた草のような図形並びに鹿の図形の上部に右横書にした「商標」の文字及び下部に左横書にした S. MIYASAKI SEI の文字で構成された商標であることを認めることができる。

三、よつて右両商標が類似するものであるかどうかを判断するに、先ず右両商標は、それぞれ前述のような図形で構成されているものであるから、両者が外観上類似するものでないことは明かである。

しかしながら称呼及び観念上類似するかどうかを見るに、原告の商標を、なるほど原告の主張するように、「月桂樹」と「鹿首」とが対等に結合せられるものと観念し、これを両者の名称を以て呼ぶ者もないではないであろう。しかし普通一般の、殊に本件商標が指定商品としているメリヤス製品等の需要者を念頭において考察すれば右商標を直観した場合、月桂樹の枠の内部に顕著に描き出されている鹿の図形を強く意識し、これを「鹿印」と呼ぶ者が極めて自然と解せられ、そのことは、証人森万之助の「鹿印というと原告会社のものであると東京の同業者はいつている。」との証言とも符合するものである。

原告代理人は、本件商標における「月桂樹」の図形と「鹿首」の図形とは、不可分に結合しているものであると主張するが、本件商標が取引上、原告主張のように取り扱われているとの事実は、これを認めるに足りる証拠はなく、却つて前記証人森万之助の証言によれば、必ずしもそのように取り扱われているものとは認められない。また月桂樹又は月桂冠の図形が、それ自身顕著性のあるものとして、単独にまたは他のものとの構成において登録された実例があつたとしても、本件の商標の構成においては、「月桂樹」の図形は、「鹿」の図形の附飾としてその与える印象は比較的弱いものと解釈せざるを得ないし、また本件商標の指定する商品の業界において、「鹿」の図形が、清酒業界における「正宗」の文字のように慣用されているとの事実は、これを認めるに足りる証拠はない。

一方前記引用商標から「鹿」の称呼及び観念が生ずることは、これが構成からみて、これまた極めて自然であると解せられる。

四、してみれば、原告の本件商標と引用商標とは、称呼及び観念において類似し、互に類似の商標といわなければならず、指定商品が牴触することは、冒頭に認定したところにより明白であるから、商標法第二条第一項第九号の規定により、登録することができないものといわなければならない。

五、原告代理人は、本件商標は、原告所有の登録第九一六二一号商標と連合商標として出願されたものであるから、その点からしても登録されなければならないと主張するが、連合商標として登録を出願した商標においてもこれが、他人の登録商標と同一又は類似するもので、同一又は類似の商品に使用するものであるときは、登録を許すことができないものと解するを相当し、このことは、同法第三条の規定が、自己の商標に限り、同一又は類似の商品につき、類似または同一の商標の登録を許すことを規定したものであり、何等これにより同法第一条第二項、第二条第一項等の要件を排除したものでないばかりでなく、商品またはその出所について、混同誤認を生ずることを妨ぐべき商標法の根本の立場から明かであるからである。

最後に、原告は、審決は、原告の有する既登録第九一六二一号商標(甲第二号証、大きな角を有し、正面を向いている鹿の頭部の図形を要部として構成されている。)及び同第三九七七九一号商標(甲第三号証、LAUREL DEER の文字を横書きにし、その中央下部にローレルデイヤの文字を縦書きにし構成されている。)についての原告の既得権を無視しこれを不当に制限しようとするものであると主張するが、原告の右登録商標についての権利の享有は、本件商標の登録の有無により消長を来たすものとは解されないから、右の主張も採用することができない。

六、以上の理由により、右の説示と結局同一に出でた審決は相当であつて、原告主張のような違法はないから、原告の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のように判決した。

(裁判官 内田護文 原増司 高井常太郎)

別紙

引用商標(出願商標は省略)〈省略〉

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